古めかしい写真ですがこの3人の男性が真珠養殖を研究し成功させた人たちです。
真珠といえば御木本幸吉と思われますが、彼がひとりで研究していたわけでもなさそうです。
明治になって外国との交易が盛んになると、真珠が海外でいかに高価に取引されているのか日本人にも知られてきました。
三重県の英虞湾にはもともとあこや貝が自生していましたのでここからごく稀に天然真珠が取れていました。
租庸調の時代から三重県辺りでは特産のアワビや海産物を調として納めていましたが中でも真珠は「しらたま」と呼ばれ喜ばれていました。
時代は下っても「しらたま」は変わらず人気の特産物。
そうこうするうち外国人がこれに目をつけ高価で買い取っていくようになったため明治時代には英虞湾の海女さんたち競って阿古屋貝を採るようになったようです。
これに目を付けたのが先の3人。
偶然見つかるのを待つより養殖できないものかと研究が始まりました。もちろん研究はもっと多くの人たちが参加していたでしょうがこの3人がほとんど同時に見つけたようです。
上の写真はそれぞれの技術特許申請書ですがほとんど似通った日付で出されています。
では最近の研究はどうなんでしょう?
正直なところ、成功すれば儲かりそうな研究は裾野が広いので一人だけが成功するというよりほぼ同時に違ったアプローチで同じ分野の研究に成果が出る傾向はありませんか?
天然真珠の取引価格がいかに高額であったのか想像できます。
努力の甲斐あって養殖真珠の生産が始まりましたがこの続きはまたの機会に。